20041027
睡眠一回抜けてしまったので、日記の日付が狂う。だいたいふだんから一週間に6回しか寝てないような気はするんだ。
昨日は結局徹夜明けのまま起き続けてしまったので、2日が1日になってしまった。日記の日付は一日抜けてるが、毎日更新というよくわからない状態。
仕事は大した問題なし。売上に対して人数が少なすぎたんで多少キツかったが、そのぶん手を抜いたので平気。てゆうか365日いつでも最高の状態を保とうと思ったら、店舗管理者一人じゃ絶対無理です。無理に続けたらストレスでどうにかなります。
今日のシフトは12時からだったのだが、どうにも眠いので13時からに変更。
起きる前、午前中、地震。いつも大きい地震のときは「このまま震度7とか来たらどうしよう」と一瞬思うんだけど、最近の地震については「あ、どーせ新潟中越」と思うから、そんなに恐怖心はない。渦中にいる人にしてみればたまったものではない、という認識はあるものの、やはりそんなものだ。
ふだん地震じゃ滅多に目を覚まさない人なのだが、さすがに揺れが大きかった。まゆみさんは震度1でもほぼ目を覚ます人なのでかなりのパニック状態。
とはいえ俺は寝続ける。
夕方、元店長経験者と一緒にシフト。もうじき店長も終わりかと思うと、俺もつい気が緩む。
「もうじきこの重圧から解放されるかと思うと、どうにもねえ…」
「それ、すっごいわかりますよ。もうなんかこう」
壁に向かってパンチ一発。
「って感じですよほんっとに」
喜びの表現としては凶暴のような気もするが、まあ心境はわかるわけだ。
重圧っていっても、実はふだんの仕事をするうえではほとんど感じない。プレッシャーも続けば日常になる。それが日常の一部であればプレッシャーは「ある」のがあたりまえで、ない状態など想像もつかない。想像もつかない以上「ない」という状態自体がありえないのだ。
が、それが「なくなる」可能性が現実のものとなった以上、あらためて自分にのしかかっていた重圧を意識するようになる。てな寸法。小売の店長はだれでもそうだと思うが、結局売上を左右する最終的な要因は、立地(ってまあ、これはどうにもならねーものもあるが、立地によって規定されるのは「上限」だけだ)ではなく、客層でもなく、天候でもなく、店長の「売る気」だ。これは、本気で小売やった人ならだれでも賛同してもらえると思う。だからこそ店長にはものすげー重圧がかかる。バイトはしょせんバイトで自分の生活なんかかかっていない場合が多いから、仕事に対して「本気」を見せてくれる例は少ない。店長の「本気」がバイトに届くか届かないか、売場をカバーするかどうか。すべて「店長」にかかってくる。
以前天野さんが本屋の仕事を辞めていた時期の日記を読んでいたときにも、このことは思った。
いやまー、結論はないんだけど。そんなことがあったってだけの話。
あと帰宅。
いまおでんの準備してるところです。うちでは、一年に数週間、おでんばかり食う期間があります。二人とも好きなんだ、おでん。好きな具材が(特に俺が)偏ってるので、微妙なおでんになるんだけど。
今回は(おでんに使えるか深く考慮しないままに、ただ俺が食いたいというだけの理由で)きりたんぽなんか買ってみた。以前に家族と秋田のほうに旅行に行ったとき食った、きりたんぽのあまりに衝撃的なおいしさ(と腹持ちのよさ)を、陳列されているのを見たとき、不意に思い出したのだ。あと、どう考えてもこの食いものはまゆみさんが好きだと思ったので。
さて、じゃがいもの煮え具合を確認してくるか。
文章を書く人には二つの人種がいると思う。俺みたいに「書く」ことに対して完全に天然であるタイプの人。「書く」ことに意味がない(まるっきり無意味ではないわけだけど)。少なくとも目的があって書くことはあまりない。俺が自分のことを自動筆記のタイピングマシーンだと思うのはそのためだ。ネタはなんでもいい。なんか「文章」のかたちになってればそれでいい。極論すれば、読む人がいてもいなくても俺は書く。現に日記をアップしてないあいだも、だれにも読ませるアテのない文章は断続的に、だけど書いてた。消したけど。
対してまゆみさんのような人もいる。文章は「なにか」を伝えるための手段である、という人だ。こうしたタイプの人は、概して文章を書くのが遅い。「伝える」のが目的である以上、目的のために最適な文章でなければならない。だから自然、無駄な言葉は消え、論理的な文章になる。
俺のような人間は、まゆみさんのようなタイプの文章を書く人に憧れる。努力不足の点はあることは認めても、たぶんどんなにめいっぱい努力してもついにはまゆみさんのような文章は書けないからだ。書くことがあまりに自分にとって自然な行為でありすぎて、その文章を客観的に見直すことが難しいからだ。俺が推敲をしないのは、単にめんどくさいので嫌いってのもあるんだけど、出来上がった自分の文章を見ても「どこをどう直せばいいのかさっぱりわからない」からでもある。
ちなみにまゆみさんのようなタイプの人は往々にして俺のような人間を羨ましく感じるらしい。なぜそんなに易々と文章を書けるのか、ってことらしい(もっともまゆみさんは羨ましくは思わないと思うが。以前の同居人である箭沢なんかはそう言ってた)。そりゃー易々と書けますよ。「書く」ことに対する意識が低くて自分で設定してるハードルなんてないに等しいんだから。ひとりごとですもん。なんでもいいからひとりごと呟けって言われて、それいちいち推敲する人いないから。
店でヤングアニマルを読んできた。なんか新連載がやってて読んだ。危ない。小学生なみの文章だ。今日は仕事をしました。すごいお客さんがいっぱい来ました。疲れました。おでんを売りました。からあげクンはそうでもないでした。
いやその新連載。幼なじみの女の子がいて「そんな犬みたいな顔するな」「おまえは忠犬ハチ公か」とかゆわれてその女の子は喜ぶ。要するに主人公のことが大好きなのだな。その女の子は主人公から冷たくされて(実はそれは理由ではないと思うんだが、いまのところはそうなってる)絶望したのかなんなのか、婚約してしまう。
主人公は、それにもかかわらずべたべたしてくる幼なじみの女の子の態度になんとなく腹立って「彼女作ってやるっ」という宣言をしてしまう、というとこまでが今回の内容。
今後の展開としては、その彼女を作る過程でいろんな魅力的な女の子が現れて、最後は幼なじみとくっつく、というものだと思われる。
ま、内容そのものは予定調和であるし、そうであって悪いことはなにもないわけだが。
その幼なじみの女の子のキャラクター造形を見ていてしみじみ思った。こんな人間いねーだろうって。行動原理がぜんぜん想像つかないし、もしつけられるとしたらそれは人間っぽいものではないと思う。てゆうかこうした「想像つかない」ところを無理やり整合性つけて遊ぶ、という遊びもあるのだが、それは作品そのものがそうした遊びに耐えうるだけのおもしろさを持っている場合だけだ。てゆうことはだいたいの場合作者は確信犯なんだが。
それはさておき。要は典型的な「幼なじみで犬っぽくて主人公大好き」という記号でしかない。そしておそらく今後も登場する女の子たちは記号だ。なんで記号で満足できるのか。そりゃまー読んでる人が別に記号以上のものを期待してないからだ。その作品世界に「人間」を探すようなややこしいマネはしてないからだ。人間じゃなければなんであるかというと、欲望のハケ口であるわけだ。
そこで俺は、最近なんだかヤケにアニメを見ているまゆみさんの反応を思い出す。
以下は,実際にまゆみさんがどう思ってるかは知らん状態で俺が勝手に繰り出す憶測なんだけど。
まゆみさんはカノンのあゆは「かわいい」と思うらしい。とらハのだれかのときも「かわいい」という感想を漏らしていた。とらハのほうはやってないから知らんのだが、まゆみさんがアニメを見ていてあーでもねーこーでもねーと文句をつけるキャラとあゆには明確な違いがある。
早い話作者の「欲望」がそのキャラに及んでるかどうかだ。ちなみに「記号」である場合は、読者である男性の欲望に合致するような「記号」を担った「なにか」だ。「月詠」に関して特に嫌う理由は明白だ。どうでもいいんだけど、あのアニメ、最後に作者自身が描いた絵が出るらしい。
そんでまゆみさんはこう言う。
「あれ見てわかったんだけど、アニメの絵、いかにもアニメっぽい感じになってるんだね」
「まー、そうだろうね。原作者の絵、アニメにしにくい感じだし」
「うん。あのままアニメにしたら、ものすごいバランスの悪い絵になると思うよ」
「あー、それでよりなんつーか、まゆみさんが嫌う感じになってるわけだ」
「違う。原作者の絵のほうが変態っぽい」
ぎゃふん。
つーかまあ…そうだろうけどさ。
それはそーとして、かつて自分が「男性としての欲望」というものに嫌悪感を抱いたことがある俺としては、男性の欲望に忠実であるような「記号」であるところの女の子がけっこう嫌いだ。嫌いという以上に疑問を抱く。なんでそれでえーねん、て。作者個人の欲望がキャラクターに反映されているような場合、その「欲望」の形式が自分のものと似ていれば、まあ受容できる。けど「男性一般の欲望」に合致するような状態は別だ。そういうのって、自分が嫌っている「男性としての欲望」をそのままカタチにして見せられた気がして気分が悪い。
確かにフィクションの摂取なんぞ、どんなによく言っても「心のうるおい」程度でしかなく、ありのままに言うなら「現実逃避」以外のなにものでもない(ただし現実逃避は人間には必要不可欠だと思うけど)。でも「うるおい」があれかよ。現実逃避して行き着く先が完全に自分にとって都合がいいだけの存在ですか。そんなんどうなのよ。
とか思うわけですよ。
ただし、書き手、作り手として、人間としての核みたいなのがあるかわいい女の子、を作れる人間ってより病気だとは思うけど。
今日はほかに書くことないのかな?
あるといえばいくらでも捻出できるんだが、やめとこ。
さて。明日も仕事だ。
ぽりんの日記
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