20041125
さて、先日の日記で書いた「Brass Restoration」ですが、美音先輩とやらは非常に悲しい思いをして、見てないエンディングもいくつかあるのですが、もういいよ。てゆうわけでほかのキャラのシナリオへ。
後輩の小瓜って子へ。最初「こつめ」と見えたんですが、まゆみさんもそう見えたようです。まゆみさんによると「まあずいぶんとマシ」な内容であるようです。
現在までのところ確かにちゃんと読ませるシナリオになってます。子供っぽい明るさの陰にある暗さみたいなのも、さほどキャラクターの統一性を損なわずに表現できているかと思われます。
ふと思ったんだけど「わかりきっているバッドエンド」の存在にはどういう意味があるんだろうか。「この選択肢はだめだ」と思いながら選択し、案の定行き着くバッドエンド。
単純に仮装現実としてのゲームならば、わかりづらい微妙な選択肢を積み重ねつつ、辿りつく先のわからないエンディングに向かうのが正しい姿だといえる。でもそれだと、やってる側がいらいらする。ってたぶん、このへんのことって考え尽くされてることなんだろうけど。だから選択肢によって好感度のポイントを積み重ねていく、というシステムがあるんだと思うし。
それが「ゲーム」という姿をとり続ける限り、システム的に永久に解決できない矛盾。
てゆうかね、これはハッピーエンド至上主義者のグチなんですけどつまり。ハッピーエンドってのはつまり、読んでる人が望む結末ということで、監禁凌辱手足切断がその人にとっての望む結末なら、そこへ納得のいくかたちでもってくのがハッピーかなーと。すべてフィクションが消費される動機っていうのは「そのようではない現実」への補償だと思う。だから自分にとって望ましい世界をもつフィクションを人は選択すればいいわけで、複数のエンディングってのは、なんかシステムとしては根本的に無理があるような気がしないでもない。
そんでもまー、ゲームとしてはそのほうがのめりこむわけなんだけど。確かに小説やらなんやらの一本道のストーリーってのはある種の息苦しさを感じさせるものだし。たぶんそこに「選択の余地がある」ということそのものが、呼吸の気楽さみたいなのものをもたらすんだろうなあ。
とはいえ、最終的に作り手の実力に依拠するって現実は変わらないんだけど。俺はフィクションの消費者であることをやめるつもりはないから、思考としてはこのへん止まり。
小瓜のシナリオ、悪くはない。のだが、実梨のそれにくらべると若干ダレてる印象。まだトゥルーのエンディング見てないせいもあるかもしれない。ただ「タイセツナヒト」というのが核心に近い概念として用意されてるっぽいのに、そのことに対する前フリのエピソードがなかったか、あるいは用意されていたとしても読んでる人の印象に残らないほど弱かったかで、いまひとつ浮いてるような感じ。「タイセツナヒト」とあえてカタカナで書いて、独立したセンテンスとして見せるからには、それは強い印象を持って読む人に訴えかけるはずで、そのことと実際の印象の落差がちょいとよろしくなかったなーと。このへんの落差の印象は、トゥルーを見ることで変わるかもしれません。んじゃ、選択肢つぶしの旅に行って参ります。
で、小瓜のエンディング、すべて埋めましたが、感想はあんまり変わらず。ただまあ、ちゃんと考えて作られたシナリオだなーとは思う。
んで、もう一人キャラがいるわけなんだが、それはまゆみさんの「読む気がしない」という発言により、もうやらないことに。まゆみさんの評価は非常にアテになります。
てなわけで、一人ぜんぜん攻略してない状況であえて全体の感想を言うなら、絵や塗りは充分に水準のレベル。まあわりと万人に好まれるような絵柄。ほんわか系の塗り。音楽はフリー素材だってこともあるけれど、わりと鳴ってるだけの印象。
シナリオについては、ライター間の実力の格差が激しすぎる印象。実梨や小瓜のシナリオ(特に個別シナリオに入ってからの印象)については、充分プロの仕事だと思う。が、それ以外については完全に素人っぽい。なによりキャラといえど一人の人間で、その人間の「行動原理」というものを理解しないままに書かれたっぽい。
あと、作品としてのコンセプトっつーかトータルのイメージがかなり弱かったのは、たぶん企画段階でのミスだと思う。実梨や小瓜のシナリオがかなり高いレベルであったにもかかわらず、印象に残りにくかったのは(実梨の場合、そもそもぱっと人に訴えかける個性が弱かったってのもあるだろうけど)、この作品としてのイメージの弱さだと思う。
てなわけで、平凡な日常生活のなかで、ちょっとかわいい女の子とのそれなりに心かよう恋愛を体験したい人におすすめです。口当たりのいい恋愛ノベルゲー、という印象。フリーだとしたら、まあ損はまったくないです(攻略キャラにもよるが)。
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