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20041219


 引っ越しなどいたしました。
 とはいっても、わりと近距離間なんですけど。
 新しく住むことになったところは、本牧です。本牧といっても、やや元町寄り。だいぶ以前にも住んでたんだけど、あらためてここに来て思うことは、人が暮らしやすい場所だなあ、ということです。まあ低湿地だし、植物とかほとんどないし、自然環境とかそういう意味では別に住みやすい場所じゃないのですが、いわゆる下町ってやつで、人の移動手段が徒歩か、せいぜいがところ自転車であったころの名残を強く残しているわけです。人間が寄り集まって、日々生活するためにだけ形成されてきた町。だれの思惑もはたらかず、ただ人が生きていくのに必要なものだけが用意されてきた町。
 以前住んでいたところは、農地に無秩序に家が建ってしまった、って雰囲気のところでした。当然ながら店とかあんまりない。歩きたくないんですよね。家の周囲。人が寄り集まってできた集落ではなくて、単に住む家が必要だったために強引に開発されてしまっただけの場所だから、そこは「寝る」場所なんですよね。寝る場所に周囲の快適さを求める必要もないし、生活するために必要な店とかも別にある必要がない。
 元来本牧って土地は、けっこう横浜の中心部に近い場所にありながら、人の移動がほとんどないです。親子二代、どうかすれば三代で住んでる人もぜんぜん珍しくない。アパートとかマンションとかもない。えらい古い時代から人がたくさん住んでいて、そのまま動かない。
 住んでみてわずか数日ですけど、そのことも納得が行く感じがする。居心地いいんですよ。微妙に。日々の暮らしなら、本当に徒歩圏内だけでほとんど間に合うし、かといって、横浜とかみなとみらい(ここは地元の人はほとんど使わないわけだけど。あ、でも最近はそうでもないか。オートバックスとか、あとジャックモールなんかもなんだかんだで行くなあ)なんかの都会もそんなに遠くない。てゆうか自転車の距離。東京ほど環境悪くないし、都会の利便性も享受できる。いい場所だと思います。

 ま、なにはともあれ、長らく懸案事項だった引っ越しも終了し、まゆみさんのストレスもぐっと軽減されました。ネット環境も復活したしね。そーいやケーブルって安定してて速いですねー。
 んでもまー、ネットのない暮らしってのもなかなか悪いないものだとも、同時に思いました。やることないから本読むんですよね。あらためて自分が本好きだってことをここ数日思い出していた。ネットつなぐようになってから、ずいぶん本読んでなかったんだなあと。
 あとはまー、仕事を辞めるその日まで、のんびりと仕事しつつ、休みの日には本読みつつ過ごす予定です。


 話変わって、IRCのログ読んでたら「セカイ系」とかそんな話が出てきた。このサイトを見てる人のほとんどがマニアな趣味を持ってる人だと思うのですが、いちおーセカイ系とはこんな意味です。俺も今日調べてみるまで、正確には知らなかったんだけど。
 要するにガキの持つ世界観のままの「セカイ」のなかで生きるガキどもを描いた物語だと思えばいいわけだ。「系」ゆわれるほどたくさんあるのかどうかは知らないけど。
 してみると、俺は29歳までまさにセカイ系のセカイを見て生きてきたわけですが。そりゃあ瑠璃子さんと白い世界で生きていくのが理想だとか思えるよなあ。綾波の絶望を共有して、暗い闇を共有して生きたいとか思うよなあ。闇の向こうに見える一条の光をせつなく夢みながら。ちなみに綾波が絶望してないっていう意見は却下です。絶望してるほうが俺のツボなのでそういうことにしといてください。希望を知らなければ絶望することもないわけですが。でも絶望って「希望を知らない」のも含まれるんじゃないのかなあ。それこそが真正の絶望なんじゃないのかなあ。いや、わかんないんスけど。そのへんの難しい話は。
 IRCのログでは、そこで秋山瑞人の話なんかが出てました。いや、出てきた話題のなかで俺がわかるのがそれだけだったってだけなんですけど。
 セカイ系の典型がエヴァとか最終兵器彼女なんだとしたら、まあ秋山瑞人の書く作品はセカイ系ではないと思う。
 秋山瑞人という作家が書く原動力となるものは、ノスタルジーのようなものではないかと思う。辞書的な定義はよく知らんけど、俺が考える「ノスタルジー」というのは、かつてあった美しいものに対する愛着の気持ちのようなものだ。もっとも「美しい」という判断は現在の気分的なもの。典型的なものとしては「青春」なんかがあると思う。過ぎ去った青春を振り返るときに人が感じる気持ち。それがノスタルジーだと思う。たぶん、なんだけど、青春を美しくないと感じる人は、たぶん、まだ青春のなかにいる。年齢は関係ない。
 その場所を通過してしまった俺は、ごく単純にこう思う。青春というのは、つまり自分と社会との関わりあいかたを見つけるまでの苦闘の時期だって。ごくあたりまえの陳腐なこと言ってますが、煎じ詰めれば本当に「ただこれだけのこと」だと思う。だからセカイ系とかゆうけれど、俺にはごく単純に青春期の肥大化した自我がもつ世界観をそのままコピーした作品のことだとしか思えない。ないしそれがテーマになってるとか。そこを通過するまでが描写されてれば、それは単なる「成長物語」なんだと思う。いままでの世のなかだと「その場所はいつか卒業するもの」って決まりになってて、また卒業することが単純によいことだとされてきたんだと思う。いま、卒業しなくても別に生きていけるし、だいたい卒業してどこに行くねん、てなあやふやな状況になってきてるのを反映してセカイ系とやらが出てきたんでしょう。

 29歳になってこの「世界」に俺が出てくるまで、どうしても消えなかった妄想がある。それがいつごろ発生したのかはもう記憶してない。たぶん、12歳くらいのときにはもうあったと思う。
 世界は無限に広がる廃墟。「きみとぼく」しかその世界にはいない。世界は広大無辺な遊び場で、その広い世界を終わることなく「きみとぼく」は遊び続ける。妄想の世界は実に細部まで構築されていた。崩壊したビルのコンクリートの瓦礫。交差点の真ん中の巨大なひび割れ。
 常々俺は、俺の妄想を満足させてくれる作品がないことを不満に思っていた。だいたいの作品は最後に主人公がそのセカイを「捨てる」ないしそこから出て「どこかへ行く」ことで終わっている。なぜそのセカイに留まってくれないんだろう。そこはとても美しい場所なのに。どこにも行く必要はないのに。きみとぼくがいて、死ぬまで楽しく生きていられれば、それでなにもいらないはずなのに。
 なんのこたーない。俺の求めていたものこそはセカイ系というヤツだったわけだ。ただまー、俺はいかなるときも無自覚な被害者であったことはないので、エヴァとか最終兵器彼女とかは、熱中はしても本当の意味で「好き」にはなれなかったんですが。

 えーと。いかんな。この話題には結論がない。てきとーに書きすぎました。
 てゆうかセカイ系という言葉は、揶揄するような口調で使われることが多いみたいだけど、それを揶揄したりするくらいなら、よつばとくらい豪快に閉じまくってる世界のほうがよっぽどマズいような気がするんですけど。なによりカノンの一部シナリオとか。つかAIRとかまんまソレか。
 「セカイ系」というキーワードに注目して文章読んだことないんだけど、たぶんこの「閉じてる感じ」っていうのもセカイ系に含めて語られてることが多いんじゃないだろうか。なんてゆうか、考えるのが好きな人にとっては、考えがいがある感じのキーワードだなあ、これ。まあ、俺は特にこの言葉を使って考える必要のある人じゃないんだろう。俺にとっちゃあまりに自明のことすぎるし。てゆうかあれだ。「セカイ系とみなされる作品リスト」とかがきっとどこかにあって、俺の好きな作品がそのなかにきっと大量に含まれてるんだよな。気マズー。


 あんよさんとこからこれ

014 (1987-p133-b),《ARIEL》笹本祐一(1987〜2004)
022 (1988-p138-a),《魔獣戦士ルナ・ヴァルガー》秋津透(1988〜1993)
024 (1989-p140-a),《フォーチュンクエスト》深沢美潮(1989〜2003)
025 (1989-p141-e),『ゆらぎの森のシエラ』菅浩江(1989)
027 (1989-p142-b),《無責任》吉岡平(1989〜1991)
028 (1990-p143-b),《スレイヤーズ!》神坂一(1990〜2000)
029 (1990-p168-b),《炎の蜃気楼》桑原水菜(1990〜2004)
037 (1992-p174-c),《十二国記》小野不由美(1992〜)
039 (1993-p176-c),《デルフィニア戦記》茅田砂胡(1993〜1998)
040 (1993-p177-b),《ヤマモトヨーコ》庄司卓(1993〜)
041 (1993-p178-d),《大久保町》田中哲弥(1993〜1996)
051 (1996-p186-c),《星界》森岡浩之(1996〜)
053 (1997-p188-e),《悪魔の国からこっちに丁稚》ディ・キャンプ(1997)
057 (1997-p191-e),《星のパイロット》笹本祐一(1997〜)
058 (1997-p191-c),《西の善き魔女》荻原規子(1997〜1999)
059 (1997-p192-f),『天夢航海』谷山由紀(1997)
064 (1998-p195-d),《マリア様がみてる》今野緒雪(1998〜)
066 (1998-p197-c),『機械の耳』小松由加子(1998)
068 (1999-p198-e),『やみなべの陰謀』田中哲弥(1999)
079 (2000-p239-c),《猫の地球儀》秋山瑞人(2000)
083 (2001-p242-c),《イリヤの空、UFOの夏》 秋山瑞人(2001〜2003)
091 (2002-p249-a),《悪魔のミカタ》うえお久光(2002〜)
096 (2003-p253-a),《涼宮ハルヒ》谷川流(2003〜)
099 (2004-p255-c),『新本格魔法少女りすか』西尾維新(2004)

 なんだ、けっこう読んでるじゃん、俺。
 印象深いのは、谷山由紀とか小松由加子とか。一時期ずいぶん繰り返し読んでたなあ。
 ちなみに悪魔のミカタはおもしろいです。あのエグみが気にならなければ。作者の自意識電波放出されまくりだからなあ。狙ってないものが狙ってるように見えるのも、たぶん難点だよね。



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