20050327
気が向いたときはけっこう更新するんですけどねえ。
今日はサンバーたん(愛車)をポリマー加工すべく近所のオートウェーブつーところに行ってきました。なんかものすごく商魂たくましい店で、ありえないくらいいろんなオプションを紹介してくれてありがとう。いらねえ。でも誘惑に負けてガラスコーティングとかつけてしまいました。どんどんドキュソの世界が可視領域に入ってきてちょっとむずがゆいです。ドンキしょっちゅう行くし。ドンキは終わってるよね。ドンペン君絶対性根曲がってるし。そーいやサンフェイスさんの「金は国が出してくれる」は最高でした。牛乳を飲んでいたら絶対に吹き出す義務があるくらいには最高だった。現物を名古屋でさんざん見てきただけに、いっそう金は国が出してくれるっぽかった。口癖になりそうです。
今日はとてもいい天気でした。春ですから。花粉症じゃないからそんなこといってられるのかもしれないですが。
ふと思ったのですが、俺はなにごとにつけ「自分が見てきたこと」をだれかに報告するのが大好きです。しゃべる内容の何割かは報告であるような気がします。報告の主な内容は「こんなにおもしろい人がいるのだ」「こんなにおもしろいことがあったのだ」というものです。そしてだれに話しても意味がないようなことを文章に書くのだと思います。まあ、そんな明確に分けてるわけじゃないですけど。
お話を書く、ということにも似たような側面があるのではないかと、今日、ホームズというホームセンターのベンチに座って、ドナルドの隣でタバコを吸いながら思いました。
お話というのは、たとえそれがどんなに現実にもとづいている内容であろうとも、しょせん「自分が属していない世界」に関する報告書です。ただ読んでる人が飽きないように、技術としてストーリーというものがあるんじゃないかと思った。
極端な話、その「世界」が魅力的な場所であるのなら、ストーリーすらいらない。登場人物すらいらないかもしれない。まあ、ドキュメンタリーにしろなんにしろ、だれかに焦点を当てない限りはなかなか成立しにくいものですが。てゆうかNHKとかでよくやってるすごい眠たい映像の羅列と似たようなものになってしまうかもしれない。
でも、読んでる人がおもしろいかとか、そういう問題を置き去りにして考えるのなら「それもまたアリ」だと思えました。
ただ、その場所は「ここではないどこか」である必要があり、そしてその「どこか」は、願わくば魅力的な場所であってほしく、そしてその世界で大好きになれる人たちが生きていればいいのだと思う。そしてそれが俺にとっての「フィクション」の根源的な意味だ。
あと白い人が日記に書いてた「文章もまた魔法」みたいなのを見て「ああそうかも」と思った。文章にも美しさってのは確かにある。受け取る人の感受性に影響される度合は大きいけれど、確かに奇跡のように閃光を放つフレーズってのはあるなあと。俺はそういうタイプの文章を書くことにあんまり興味がないからうっかり失念してた。
まあ、そんなわけで、今日はとてもいい春の日でした。ここではないどこかにも、きっとそんな春の日があるのだと思います。神様にできることのせいいっぱいがこんなあたたかい春の日を作り出すだけの世界は、きっとやさしくて美しいかもしれないとか、そんなことを妄想してみる一日でした。
てゆうかあとずっと車の運転ばっかりしてたから運動不足ですぐ息が上がる。あとサンバーたん引き取りに行くのめんどくせえ。
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