20050415
今日は本部のあまり偉くない人と会ってきました。店を新たに開く過程で、けっこういろんな人と会う(ほとんど会社員)わけですが、なんというか、仕事のやりがいということについて考えさせられます。だいたいの男性に関しては、仕事ってのはほぼ不可避なもので、しかも自分の持ち時間のうち膨大な部分を捧げざるを得ないものです。この時間を充実して過ごしているかそうでないか、このへん、その人の人格の構造にまで影響を与えてるんじゃないかと。まああたりまえの話かもしんないけど。
今回いろいろ会った人のなかで、一人、あまりにも小物っぽい雰囲気を漂わせてる嘘つきがいるのですが、その人を見ていてふと「人はだれしも自分の人生の主人公であるべきだ」という言葉を思い出しました。
俺は「俺は俺であるだけですばらしい。そのことに疑問の余地はない」というありえないくらい根拠のない全能感のもとに行動してる人間ですので、その言葉の意味がよくわからなかった。しかし、その人を見ていてピンとくるものがあったのですよ。
結局のところ、人は「本来の自分」を社会のなかでどれくらい実現できるかが勝負なんだな、と。もちろん俺は全能なので、そういう闘争のなかには参加しません(という建前で俺はできている。逆からみれば逃げてるだけじゃんという説もある)。が、まじめにこの世のなかで生きようとする人たちにしてみれば、このへんは実に重大な問題であるはずで、そのことから完全に逃げているような例の小物を見て、逆説的にそんな言葉を思い出したんだと思います。
にしても、なんであそこまで小物なんだろう。小物っつーかもはや雑魚。雑魚であることから不可避的に発生する深い悲しみとどうやって折り合いつけてるんだろう。ごまかすにしたって限界はあるはずなんだけどなあ。
このあいだ「9S」という小説を読んでたのですが、けっこうおもしろかった。まゆみさんにおすすめしたら、やはりけっこうおもしろいとのことでした。
考えれば考えるほどお話づくりは技術だと思われますが、でも最終的にはやっぱり気合だと思う。最終的には魂の問題だなあ。満たされない魂の巨大な飢餓だなあとか思うんですけど。書くとか描くとか創造するとかほんと意味ない行為だなあ。その意味のなさをとても愛します。この世界はとてもシンプルなのですが、そのシンプルさを実現するためのあらゆる手段が用意されてるところが醍醐味でありめんどくささの根源であり、てゆうかやっぱり楽して生きたいなあとか34歳にもなって思うわけです。
俺のような人間は特に、最終的には自分のことにしか関心がなかったりする(究極的にはそうでなければならないと思うんですが)うえに、さらに定義づけマニアだったりするので、この「自分という存在が生きている」という現象に対する興味というか関心は尽きないものがあります。そして自分が生きている舞台であるこの世界に対する興味も尽きません。いーじゃん生きてるの。だって俺が生きてるんだからとかそれくらいの馬鹿さ加減で5月末の進展オープンに向けてなにもがんばらないでいこうと思います。
嫌いなの。がんばるの。
←前の日 次の日→
|
|