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20050917


 しゅんたんとこより。
 軽く不愉快と書いてあるが、その実そうとうに不快なのではないだろうか、と邪推する。
 SFにしろファンタジーにしろ、すべて熱狂的な固有のファン層を持つある完成された趣味の体系というのは、そのうちには毒を抜かれ、わかりやすく要素に分解され、だれにでも受け入れやすいものになって、ふつうの社会常識からそんなに外れない場所で生きている人たちの海のなかで、薄くなってそのうち消滅していくものと決まっている。簡単に選択可能なネタのひとつとして扱われることも、消滅とほぼ同義だといっていいと思う。そこにはカタチだけが残って、精神はないから。
 別にそのことの是非は問わない。だいたいすべてのことは「そんなもん」であるからだ。たとえば日本語の乱れが云々とか言う人は多いけれど、実は言葉に乱れなんかなく、ただ変化だけがあるってのとだいたい事情は一緒。「乱れ」というときに、自分の知っている「美しい日本語」こそが正当であるという意識があるはずだけど、その「正当」ですら、やっぱりいつの時代からか、崩れて変遷してきた結果成立した日本語であるわけだし。「乱れ」であるとある人が断言するとき、それは感傷だとしか俺には思えない。そしてまー、俺はその意味で非常に感傷的なワケだが。とかいいつつ、自分で「美しい日本語」を書けないし、話せないあたりがポイントですよね。ひょっとして馬鹿?

 萌えって言葉が、たとえばヤンジャンとかの一般青年コミック誌に登場するようになったのは、けっこう前のことだと思う。最初に使用例を見たのがなんであったかは忘れたんだけど、そのときに真っ先に思ったのが「俺が思ってるのと意味が違う」だった。そこで思ったわけだ。なぜ俺は、そして俺の周囲の人たちは「萌え」という言葉を使っていたか。
 理由はごく単純で、ほかにしっくりくる言葉がなかったからだと思う。一般的な語義はこのへんでひととーり概観できる(てゆうか、セラムンの前からなかったですか、あの言葉。「萌え」っていうんでなく「萌える」という表現で。あるキャラクターに対する愛情が激しすぎて「燃える」ような状態であったときに、ちょっとした自虐的な気分と、あと「悶える」というような意味合いを込めて使っていたような気がする)。好きとか、愛してるとか、一般的に相手に好意を持ったときの単語がうまく当てはまらない。なんせ対象はこの世界に存在しないことが明白。このねじくれた激烈な感情をうまく表現できる言葉はないのか、とみんなが悩んだときに、たまたま以前からマニアのあいだで流通していた「萌え」という単語が目の前に転がっていた、というような状況だと思う。
 あえて一般的な言葉を選ばず、言葉そのものが手作りであるようなものを選んだのは、マニアに特有な「自分は特別である」という感情もあったかもしれない。しかし、なによりも重要なことは「この感情は、ふつうの人間には理解されない」という思いのほうだったと思う。あまりにばっさりと断言してしまうと猛反発食らう可能性も想定したうえで、あえて断言してしまうと、「萌え」の感情と、現実的な対人関係の幸福は同居しない。もちろん中間には無数のグラデーションがあるのだろうけれど、どちらかの極に突っ走った場合、反対のものは否定するしかない。特に「萌え」はこの世に存在しないものに対する愛情が基盤になっているだけに、絶対的な「萌え」は絶対的な現実否定とワンセットでなければならない。
 俺は「萌え」という言葉に代表されるようなオタク的な文化と、ほとんどリアルタイムで生きてきた。俺は、自分自身と、せいぜいが自分の周辺にいた人たちしか事例として知らない。少なくともその人たちは「萌え」という言葉の背後に「現実否定」というネガティブな側面があることを自覚していたと思う。完全に家のなかで生活できるならともかく、生きている限り、現実は生活に関与してくる。生活のなかの、もっと大きくいえば人生のなかの「なにか」を代償として自分たちの「萌え」という感情はあるのだと自覚していたはずだ。まだ「オタク」という言葉が流布する以前から、そうした人たちはいたし、その人たちにしたところで、自分が生きていくなかでの「なにか」を犠牲にしているという意識はあったと思う。無自覚的にそうした精神の構造をしている人も含めたら、その総数はもっと増えるだろう。
 確かにフィクションのキャラクターを好きになる、というのはほとんど頽廃で現実逃避の極みだ。そのことで現実生活がうまくいかないという不平不満を言うことだけは許されていない。現実逃避はほんのきっかけで、あとは自覚的にその場所へ向かわない限り、深みにははまらない。意識的であろうと、無意識的であろうと、人はみずから好んでそこへと近づくのだ。

 俺がかつて同じ季節を共有したと信じている人たち、ほとんど同士に近い感情を抱く人たちが「萌え」という言葉をかつて使っていたのと同じような意味合いと重みをもって使うことをほとんどしていないように見えることは、けっこう示唆的だと思う。
 「萌え」という言葉は、すでに日の当たる場所に引き出され、分解され、吸収された。より幅広い層に共有されるようになった。共有されているのは、毒を抜かれた「アニメや漫画、ゲームなどの登場人物へのフェティシズム的な愛情、特に類型的特徴への固執を指す言葉」という部分だけだ。それすらも解体されつつある。
 かつて俺が、俺の周囲の人々が「萌え」という言葉で表現するしかなかったものの実質を、それらの人々は知らない。
 そのことの是非は問えない。流れは止められない。ただ変化していく性質のものだからだ。
 だから、たぶん感傷なんだよ。子供のころ遊んだ空き地をブルドーザーが掘り返しているのを見つめているような。その空き地にどれだけの思い出が詰まっていようとも、ブルドーザーの運転手はそんなことを知るはずもないし、もちろん建設会社の人もそれを知らない。ただまー、この場合、タチ悪いのは、結果としてできあがった建物が、思い出の残滓をひきずってることですよね。この悔しさってのは表現のしようがない。
 あー、だから、そうだな。
 空き地に昔、ビー玉を落としたんですよ。たいせつな宝ものだったビー玉を。
 空き地にできた建物は、昭和レトロなんとかとかゆう名称のテーマパークみたいなもので、そこに自分が落としたはずのビー玉が展示されてるんです。懐かしの玩具とかそんな扱いで。ガラスケースに保存されて。なんかモンペみたいなものはいた子供が遊んでる絵と一緒に。
 もちろん自分はモンペなんかはいてませんでした。そしてビー玉で遊んでいたときは、いつも一人きりで、時間なら夕方の5時半くらいで、赤い空とか死にかけのヒグラシの声とか、そんなものを聞きながら、ただ無心にビー玉を弄んでいたんです。
 もちろん、そんなことはだれも知りませんし、知ってもらう必要もないことですし。いまさらビー玉が自分のものだと証明することもできないし。なにより悲しいのは、もし返してもらったところでそれが無意味なことであることを自分自身がいちばんよく知っているということでしょう。
 重要なのはビー玉そのものではないのだから。

あー、まーなんつーか。結局自分のことしか書いてないわけなんですが。



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