20050922


 ネット界隈でヤケにうまいと評判のJTの「REVO」シリーズのひとつ、セブンスターライトメンソールを買ってみた。俺はタバコ好きの人から邪道といわれるメンソール好きです。んで、結局JTくさいヤケにフルーティーな香りでした。あれが嫌いだからJTのメンソールは吸わんのだ。タバコのにおいと味がしっかりするメンソールが好きなんていう中途半端な人にはつらい時代です。

 人間において「強さ」とはなにか、ということを最近また考えたりする。まあそれなりのきっかけはあったわけで、数日前の日記で書いた読む人みんなにいやがられる個人攻撃文章がきっかけなんですが。読み返すだにイヤな人間だなあと思えるような文章ですな、しかし。
 俗に「強い人間」と言われがちな、自分の意志が明確で他者との闘争に負けないような人間は、実は弱いです。プライドを抱えるというのは非常に厄介なことです。プライドというのは、自分が優れている、この世界に自分の足で立っていることの根本的な証明であると同時に、自分に好きこのんで背負わせた荷厄介な荷物です。その荷物を下ろすわけにはいきません。証明しつづけなければ立ち行かなくなるわけですから。
 プライドを持って立つ、ということはつまりそれだけ守らなければならないものが多いということです。よく成長ものなんかで「守るものがあるから強くなれる」みたいな定義がありますが、あれ嘘だと思います。守るべきものはつまりたいせつなものということで、たいせつなものが破壊される可能性をその人は見逃すことができません。守らなければならないものが自分以外にあるなら、それだけ守るために必要な労力は増えます。ですから、単純にいって弱いです。
 今回、件の文章の彼を、俺はさんざん侮辱しました。最初は激怒させるために。ある人が自分の殻に閉じこもって自分自身を守ろうとするとき、そこから引きずり出す最良の方法は怒らせることだからです。怒りの根源は自分への攻撃に対する防御反応だと俺は思います。傷つけられてはならない自分の絶対のプライドに抵触するなにものかが侵入を試みようとしたとき、それを排除するために人は怒るのです。そして激怒の底に見えるのは、根源から湧き上がってくる絶対の自己主張。殻は自分を守るためにあるわけですから、激怒したとき人はその殻を脱ぎ捨てるわけです。
 逆にいえば、なにごとがあっても絶対に激怒しないのであれば、その人は自分を守り通すことに成功します。だれがなにを言ってもあらゆる言葉は通じないわけです。言葉を通じさせようと懸命に努力した人が、その努力に見合った報酬を得られないとき、つまり結局なにもわかってもらえなかったときに味わうものは敗北感です。自分の力は及ばなかったのです。
 ちなみに俺が「強さ」を云々するときに暴力のことを口にしないのは、事実上その力を行使することはこの社会においてタブーだからです。暴力を行使したものは、少なくとも日の当たる世界ではその時点で負けが確定します。
 暴力が禁じ手である状態では、つまり言葉ないし感情しか武器がありません。だから言葉を聞かない、相手の感情のいっさいを感じないということは、つまり土俵に上がらないということですから、絶対に、なにがあっても負けないのです。そして、負けないということは最強です。相手に敗北感を常に味わわせることができます。そして自分の殻に閉じこもっていることは、なにより責任を取らない、取れないということと同義なわけで、つまりすべての責任は相手にあります。常に自分は被害者で相手は加害者です。そして加害者は加害する時点で負けであるというのも、この世界のルールのひとつです。
 ですから、たぶん俺は彼に敗北したということなんでしょう。
 そしてなにより許せないのは、彼自身の主観のなかでは、自分は敗北したことになっており、そのことで自分を被害者と定義づけることが可能だということですよ。もう暴力以外になにが残されてるっていうんだ。彼は主観的に敗北すればするほど勝利するのですよ。
 さあ、そこでもう一度問う。
 強さとはなにか。
 負けないことです。
 そのために全力で逃げることです。
 現実にはさまざまなルールの縛りがある以上、逃げる人間に勝てません。
 この方法のただひとつの欠点は、彼は主観的についに勝利者にはなれないということ。そして決して幸福にはなれない、ということでしょう。自分が敗北することに客観的な裏付けまであるんだったら、もうフィクションの世界に逃避したって幸福はねーです。
 ま、なに言ったって負け犬の遠吠えなわけですが。まさに。



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